2009年9月14日月曜日

子供の携帯電話所持規制について

Twitter にて:
今夜の教育関係者の会合で、子どもの携帯電話所持に関して規制すべきかどうか聞いてきたが、意見が真っ二つに分かれる。何かあったときの連絡用に防犯上必要という意見と、小中学生まではネットいじめなどの入口となる携帯は絶対規制すべきという意見。皆さんはどっちだろう?
http://twitter.com/K_Onishi/status/3939288886

というつぶやきがあったので、ちょっと考えてみた。

まず法律による規制の是非について。

携帯電話に限らず、道具には良い用途もあれば悪い用途もある。ナイフや自動車と同じ。携帯電話には明らかに良い用途があるのだから、道具の使用そのものを禁止するのはナンセンスだ。

禁止すべきなのは、他者や社会に危害を加える行為や、 その恐れの高い行為だけ、というのが刑法(罰則による禁止)の基本のはず。そうしないと個人の自由を制限しすぎてしまう。

じゃあどういう行為を禁止すべきなのか。

そこで問題になるのが「ネットいじめ」あるいは「いじめ」という概念だ。これはとても広い概念なのに、一括りで「いじめはともかく悪い」と短絡的に考えがちのように思う。法律との関連では少なくとも、
  1. 刑法上の犯罪:名誉毀損や侮辱など
  2. 犯罪ではないが民事的に損害賠償になるようなもの:個人情報の書き込みとか
  3. 上のいずれにも当たらない道徳的に問題のある書き込み:単に不快を与えるようなもの、例えば誰誰は先生に贔屓されていてずるいとか
くらいには分けて考えないと、妥当な規制はできないだろう。

ところで1はすでに刑法に規定されている。2は、子供が携帯電話でそれをやるから処罰というのはおかしいだろう。3は道徳の話だから法律の範囲外。だから法律は揃っていることになる。

じゃあ新たな規制は必要ないってことか?

うん、私は必要ないと思う。つまり、携帯電話とナイフは同じようなものだってことだろう。ナイフは役に立つものだが、それを使っていじめをすることもできる。犯罪もできる。そういうものを持ち歩くのは道徳的に問題だという考え方もある。だけど、子供がナイフを利用することそのものは法で禁止されてはいない。ではなぜそれで大丈夫なのか。それは、ナイフで人を刺すことは悪いことであり、そういうものをぶらぶらさせてるのはよくないことだと子供が知っているから。

ナイフと携帯電話、どちらが人をひどく傷つけるだろう? 携帯電話の利用を禁止するなら、なぜナイフの使用を禁止しない?

やるべきことは、携帯電話を使って何をしてはならないかを子供に教えることだと思う。ネットなしでは社会生活が成り立たないくらいのネット社会にするのなら、すべての子供がそれを学ぶようにすべき。それが家庭でなのか、学校教育でなのかは、まだよくわからない。法律に関しては学校、道徳に関しては家庭、という分担は考えられるけど。

さらに。子供が他人に対して名誉毀損や侮辱をすることを法律で完全に止めようとしてはならないと思う。

学校では子供は喧嘩する。しかしそれは傷害罪として法律で処理されない。喧嘩が悪い、殴られたら痛いということをそこで学ぶためだ。ネット社会に出ていく子供は、これと同じように、何をしたら悪い、何をされたらつらい、ということを学ばないといけないのではないか。そのためには、子供の間の名誉毀損や侮辱を法律で処理してはいけないと思うし、携帯電話そのものを使用禁止にしては何も学べなくなってしまうのではないかと思う。

ネットいじめが普通の喧嘩やいじめと違うところはもちろんネットで起きることだ。そうすると、広大なネットのどこかでいじめが起きて、それは見つけられるのか、という不安がある。

でも私は、むしろネットいじめの方が発見しやすいと思う。皆が見ることができるようなサイトなら検索エンジンに引っかかってくるだろう。(公開されていないサイトでは難しい。が、それはあきらめなければいけないと思う。人の口には戸が立てられない。公でない発言まで防ぐことはできない。)そして書き込みが見つかれば、書き込んだ人間を特定するのは(そうしたければ)それほど大変ではない。

ネットいじめ以外にも、有害サイトなんて問題もあって、それは別の話になるけど、私が考えると結局は
  • フィルタリングサービスは携帯電話各社あるいはそういうサービスの業者が自由に提供し、競争する
  • 消費者はサービスを自ら選ぶ
  • フィルタリングサービスが不要だと考える家庭の自由は守るべき
  • だから法律で義務付けるべきではない
となりそうな気がする。

子供って、大人が思いもつかないようなことをしてくれるものではないかな。携帯電話を持たせておいたら、知らないうちに各国の子供達とつながっていて、今の大人が苦労して国際関係を維持したり平和を守ったりしているのを、後でいとも簡単に実現してしまう、そんなことだってもしかしたら起きるかも知れない。近視眼的に大人の感覚で子供を「守ろう」とするのは、もしかしたらまったく見当違いかも…

…なんてことをとりあえず思った。

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